「人生のベテランは、長期保存できるものをたくさん作っている。」
この、長期休暇中に宮崎の実家の横にある、夫の祖母宅の遺品整理をしました。
夫の母、義妹家族4人、私達家族3人の計8人で作業しました。
祖母は今年1月に102歳で家族に見守られながら、大往生しましたが、とにかく長く生きておられたのと、亡き祖父が物を大切に扱う方だったようで…家の中にはかなりの物達があふれかえっていました。
夫の母(73)は長年の祖母との生活や介護が当たり前の生活スタイルになっており、当然、祖母がいない生活は、煩雑さは減ったものの、ある意味、虚無感が強かったのではないか…と推測されました。
なので、祖母宅の物達は祖母が亡くなってからも、ほぼそのままの状態でした。
当然、冷蔵庫(2台)も電源が入ったまま稼働しており、食品がたくさん保存されたままであり、本来は掃除好きの夫の母も恐れをなして、その冷蔵庫を(開かずの間)と呼び、手つかずのままだったようです。
勇気を出してこの機会に冷蔵庫を開けよう!という機運(?)になり、まずは中のものをすべて出したのですが、出てくるは出てくるは、瓶詰めされたジャムと、漬物類などなど庫内にぎっしり。
聞くと、祖母は戦前の方なので、長期保存ができるよう、砂糖を多めに入れたジャムを作るのが、お好きだったようです。
孫である、義妹にも1年前に作ったジャムだよ~とおすそ分けしていたとのことでした。
祖母も母と同じく、手料理好きの方だったんだなぁ~とほのぼの思う一方、なぜこんなに作った??という疑問もありつつ、瓶が硬くて開かねえー!とイライラしながらも、
冷蔵庫組3人で、瓶を力で開封する係、中身をスプーンで出す係、空の瓶を洗う係とチーム作業をこなしました。
中には10年以上経っているんではないか…と思えるくらい鉱物くらい硬いジャムが鎮座しており、どうあがいても取り出せず…。
中身をスプーンで出す係だった夫が、我慢しきれなかったのか、眉間にしわを寄せ、「あー、もう!!これからは年寄りはジャムを作っちゃいかん!!」と誰に言っているのかわからなかったけど、文句を言っていました。
もしかしたら、亡くなった祖母も片付けが気になって、傍で様子を見ていたかもしれません。
そして、孫たちの文句に、うんうん、と頷いて、フフフと笑っていたかもしれないなぁ、、と感じました。
夕方になり、一日頑張ったお陰で、かなりの量の粗大ごみを処分できて、家も気持ちもすっきりでしました。
今まで、なかなか片付けの踏ん切りが付かなかったであろう母も、あの開かずの冷蔵庫が片付いてからは、勢いがついたようで私達が帰った後も、もくもくと片付け、ごみ捨てを頑張ってくれたようでした。
頑張ったあとには、ご褒美を✨ということで、
宮崎でも有名な(ミヤチク)に行き、美味しい宮崎牛を目の前の鉄板で焼いてもらい、贅沢にいただきました。
とても、美味しかったです😊
(宮崎にご旅行にいかれた時はぜひ、いかれてみてください🐄)
遺品整理という、一見大変そうな作業ですが、終わってみれば、家族みんなで、文句あり、笑いあり、
わちゃわちゃと言いながらも、一緒の時間を共同作業で過ごした貴重な思い出となりました。
おばあちゃん、長い間お疲れ様でした。ありがとうございます!
(多分、傍で見届けていた、祖母に向けて😊✨)
※ちなみに、鉱物くらい硬いジャムはまだ、祖母宅の流し台にそっと置いてあります(笑)
そのまま土に埋めて、微生物達に分解してもらえないかしら…などと、企んでいます。
読むと、人生がまた奥深いものになる。(と、思う)
最近、凪良ゆうさんの小説、「汝、星のごとく」と、続編にあたる「星を編む」の2冊を読みました。
「汝、星のごとく」は、瀬戸内海の美しい島を舞台に、ダメな親のもとに生まれ、ままならない現実の中で抗いながらも、
男女の(壮絶な愛と自立)を描いた15年の軌跡の本です。
2人が出会った、高校生時代から、30代前半までの物語です。
そして、「星を編む」では続編として、主人公の30代~58歳までの(受け入れながら生きていく)物語が描かれています。
いつも、夕方にオーディブル(耳で聞く読書サービス)で聴きながら家事をしていましたが、
「汝、星のごとく」の終盤は、あまりのリアルさに情景が目の前に浮かんできて、泣けてきたのと、しばらく夕暮れにひたり…
その後も夕げの準備をする気にならずに、出前を取る羽目になりました😿
続編の「星を編む」も、主人公の一生懸命に生きる姿とそれをとりまく人間模様が描かれていて、ほんと素晴らしかった!
映画(国宝)にも匹敵するくらいの読み応えがある、小説でした。
読んだ後の余韻がすごすぎて、思わず、文庫本も手元に置いときたくて、購入したくらいです。
自分くらいの年齢になると、人生も半分以上過ぎて、いろいろ経験も積んできましたが、
それでも読んだ後は、自分もその小説の中の人生を旅したような、、不思議な感覚があり…。
感慨深くて、べつに正解はない、自分自身だけの、いろんな人生があってもいいんだなぁと思わせてくれました。
こんな小説に出逢って、少しまた、人生が深くなったような、得をした気持ちにさせてもらいました。
有難いなぁ、と思いました。
ちなみに著者の凪良ゆうさん自身も幼少期から、児童養護施設で暮らしたりした経験をお持ちで、
そういう苦労した人が書いた作品だからこそ、味がある物語なんだろうな、と納得できました。
興味がある方は、ぜひ読んでみてください。
オーディブルだと、比較的さくさく読めます。(ちなみにオーディブルの回し者ではありません笑)
極めてはやい、胃カメラ検査の体験談
(ほんとに検査したの~?!と思うくらい、たぶんあなたもそう思う)
まず、私の両親の話です。
両親は今は、この世界にはいませんが、この世にいた時は「がん」で闘病していました。
もう少し、はやく見つけてあげれば、もう少し親孝行できたのになぁ…と後悔はず~っとあります。
自分は、両親ともがん病歴があるので、遺伝で、同じがんになる確率は普通の人より高い、らしいです。
夫の勧めもあり、毎年腹部エコー検査を、2年に1回程度は胃カメラを受けています。
長生きできなかった、親の分まで、自分が親より少し長く生きて、親ができなかったであろう、孫の成長する姿をたくさん目に焼き付けられたらいいな、、と思っています。
(と、言っても、まだ結婚すらしていないのですが…笑)
~胃カメラ検査前~
そういうわけで、自分は先日、当院で胃カメラをしてもらいました。
看護スタッフはみな、検査直前まで気さくで優しくて、(手前味噌ですが)皆なんていい人達なんだろう~✨と安心感で一杯なりました。
次第に、麻酔薬が注射され、だんだんお酒に酔ったようなふわぁ~とした感じになり、そのあとは記憶がありません。ちなみに、お酒に強い人は、少し麻酔が効きにくいそうです。
後日、スタッフに伺った話によると、自分は麻酔が効きやすいらしく、すぐに意識がなくなり、
ごく少量の麻酔で検査終了まで、ぐすっり眠っていたようです。
そして2年前の胃カメラの時は、「喉が痛いです~!」と訴えていたそうですが、今回はおとなしかった、とのことでした。(本人はまったく、記憶にないですが…)
~胃カメラ検査後~
検査後はストレチャーにて休憩スペースに移動され、小一時間くらい休みます。
しかし、自分はどういう訳か、検査後にむくっと起きて、スタッフに「休憩室に運んでください…」と頼んだらしいです…。
まるで、泥酔しただらしない人間を介護するように、看護師二人でわきに抱えて、運んだとのことでした。
もちろん、まったく覚えていませんが。(か、かたじけない…)
起きた時は、薄いジュータンを敷いた床で寝ており、そのあと机の角で頭を打ち、痛い頭をさすりながら、え、なんで、ここで寝ているのォ~??と不思議に思ったくらいです。
この件は、後で皆でお笑いしました😊
お目覚めの後には、当院では、お飲み物とお菓子のサービスを行っています。
自分も実は、誰かが淹れてくれるコーヒーを楽しみにしていたのですが、
院長室に寝ていた自分にそこまで気遣ってくれる人はなく、、、
目が覚めた後は、とぼとぼと、自分でコーヒーを入れに行った次第です(悲)
まぁ、美味しかったですが(#^.^#)
以上、私の当院での胃カメラ体験記でした。
血縁の御家族に胃の病気や大腸の病気の経験がある方は40歳を過ぎたら、内視鏡検査をぜひ、ご検討ください。
胃癌や大腸がんは、早期発見、早期治療で治ります!
気軽な気持ちで相談にいらしてくださいね♪笑顔でお待ちしています😊
✊頑張った経験は、かならず自分の財産になる✊!
娘が看護学生です。2月中旬に学生最後の集大成(国家試験)が控えており、いまそれに向けて最後の追い込みで毎日を勉強一色で過ごしています。
娘はもともと声優になりたくて、演劇が学べる短期大学に通う学生でした。
しかし、声優を志し、さきに上京した友人や先輩の困難さを聴くにつけ、まずは蓄えが必要だな…と考え直し、
まずは働くことにしたのです。
そして、、なんと自衛隊に入隊したのです。
自衛隊は集団生活は辛いだろうけど、衣食住がお金がかからないのが魅力的だということでした。
(自衛隊は、国民を守る役目の立派なお仕事ですが、この時の娘の入隊理由はこれでしたm(__)m)
自衛隊は、入隊後の三か月はかなりつらい訓練があるそうです。
娘も入隊後に自衛隊の久留米にある学校に入校し、8人部屋で寝泊まりし(これだけでもすごい!)かなり厳しい集団行動訓練に脱落する人もいるなか、なんとか踏ん張りました。
その後、無事に自衛隊学校を卒業し、北海道の島松駐屯地に赴任しました。
この頃には、高校時代の夢であった、声優の道のことはもうすっかり消えてたみたいです。
自衛隊の現実的な実践業務に身を投じたことで、いろいろ思いが変わってきたようでした。
赴任後は後方支援部隊(第一線の部隊を支える役目)の隊員として2年間任務をしました。
そんな娘がなぜ、看護師を目指すようになったのか??
自衛隊勤務の時に、新型コロナの大流行があり、コロナ患者を献身的に支える病院で働く看護師たちの姿をテレビで観て心を打たれ、看護師になって人の役に立ちたい!と思ったとのことでした。
母親の私自身も、実は看護師の資格は持っています。
娘が高校生のときは、看護師さんになったら?と勧めたことはありましたが、娘からは「自分は絶対、看護師にはならない。お母さんみてると、いつも寝てるし、きつそうやもん」と反論されましたが。(笑)
しかし、娘はその後、自衛隊を退職したのち福岡に戻り、准看護学校に入学し、働きながら学校に通い卒業。
そしてさらに上の学校へ進学し、正看護師免許をめざして、毎日1時間以上かけて通学し、持ち前の根性で頑張っています。
娘はやっとこの春、第2回目の社会人のスタートです。
この4年間は貧乏で、いろんなものを我慢しながらの学生生活だったと思いますが、
そんな体験も、きっと無駄じゃない。
人よりは寄り道しながらの遠回りですが、その分、いろんな人と出会えて様々な経験を積めて、人間的成長につながったと思います。
また、娘一人の力ではここまで歩むのは厳しかったと思います。
自衛隊勤務のときに看護師になることを応援してくださった、島松駐屯地の隊員の皆様、看護学校の先生方や同士の皆さん、支えてくれた大勢の周りの方々にも感謝です。
資格をとってからが、また看護師修行が始まるわけですが、まずは国家試験に向けて、太宰府天満宮でいただいた緑のハチマキをしめて、日々頑張る娘を傍で見守っています。がんばれ!