「人生のベテランは、長期保存できるものをたくさん作っている。」
この、長期休暇中に宮崎の実家の横にある、夫の祖母宅の遺品整理をしました。
夫の母、義妹家族4人、私達家族3人の計8人で作業しました。
祖母は今年1月に102歳で家族に見守られながら、大往生しましたが、とにかく長く生きておられたのと、亡き祖父が物を大切に扱う方だったようで…家の中にはかなりの物達があふれかえっていました。
夫の母(73)は長年の祖母との生活や介護が当たり前の生活スタイルになっており、当然、祖母がいない生活は、煩雑さは減ったものの、ある意味、虚無感が強かったのではないか…と推測されました。
なので、祖母宅の物達は祖母が亡くなってからも、ほぼそのままの状態でした。
当然、冷蔵庫(2台)も電源が入ったまま稼働しており、食品がたくさん保存されたままであり、本来は掃除好きの夫の母も恐れをなして、その冷蔵庫を(開かずの間)と呼び、手つかずのままだったようです。
勇気を出してこの機会に冷蔵庫を開けよう!という機運(?)になり、まずは中のものをすべて出したのですが、出てくるは出てくるは、瓶詰めされたジャムと、漬物類などなど庫内にぎっしり。
聞くと、祖母は戦前の方なので、長期保存ができるよう、砂糖を多めに入れたジャムを作るのが、お好きだったようです。
孫である、義妹にも1年前に作ったジャムだよ~とおすそ分けしていたとのことでした。
祖母も母と同じく、手料理好きの方だったんだなぁ~とほのぼの思う一方、なぜこんなに作った??という疑問もありつつ、瓶が硬くて開かねえー!とイライラしながらも、
冷蔵庫組3人で、瓶を力で開封する係、中身をスプーンで出す係、空の瓶を洗う係とチーム作業をこなしました。
中には10年以上経っているんではないか…と思えるくらい鉱物くらい硬いジャムが鎮座しており、どうあがいても取り出せず…。
中身をスプーンで出す係だった夫が、我慢しきれなかったのか、眉間にしわを寄せ、「あー、もう!!これからは年寄りはジャムを作っちゃいかん!!」と誰に言っているのかわからなかったけど、文句を言っていました。
もしかしたら、亡くなった祖母も片付けが気になって、傍で様子を見ていたかもしれません。
そして、孫たちの文句に、うんうん、と頷いて、フフフと笑っていたかもしれないなぁ、、と感じました。
夕方になり、一日頑張ったお陰で、かなりの量の粗大ごみを処分できて、家も気持ちもすっきりでしました。
今まで、なかなか片付けの踏ん切りが付かなかったであろう母も、あの開かずの冷蔵庫が片付いてからは、勢いがついたようで私達が帰った後も、もくもくと片付け、ごみ捨てを頑張ってくれたようでした。
頑張ったあとには、ご褒美を✨ということで、
宮崎でも有名な(ミヤチク)に行き、美味しい宮崎牛を目の前の鉄板で焼いてもらい、贅沢にいただきました。
とても、美味しかったです😊
(宮崎にご旅行にいかれた時はぜひ、いかれてみてください🐄)
遺品整理という、一見大変そうな作業ですが、終わってみれば、家族みんなで、文句あり、笑いあり、
わちゃわちゃと言いながらも、一緒の時間を共同作業で過ごした貴重な思い出となりました。
おばあちゃん、長い間お疲れ様でした。ありがとうございます!
(多分、傍で見届けていた、祖母に向けて😊✨)
※ちなみに、鉱物くらい硬いジャムはまだ、祖母宅の流し台にそっと置いてあります(笑)
そのまま土に埋めて、微生物達に分解してもらえないかしら…などと、企んでいます。
読むと、人生がまた奥深いものになる。(と、思う)
最近、凪良ゆうさんの小説、「汝、星のごとく」と、続編にあたる「星を編む」の2冊を読みました。
「汝、星のごとく」は、瀬戸内海の美しい島を舞台に、ダメな親のもとに生まれ、ままならない現実の中で抗いながらも、
男女の(壮絶な愛と自立)を描いた15年の軌跡の本です。
2人が出会った、高校生時代から、30代前半までの物語です。
そして、「星を編む」では続編として、主人公の30代~58歳までの(受け入れながら生きていく)物語が描かれています。
いつも、夕方にオーディブル(耳で聞く読書サービス)で聴きながら家事をしていましたが、
「汝、星のごとく」の終盤は、あまりのリアルさに情景が目の前に浮かんできて、泣けてきたのと、しばらく夕暮れにひたり…
その後も夕げの準備をする気にならずに、出前を取る羽目になりました😿
続編の「星を編む」も、主人公の一生懸命に生きる姿とそれをとりまく人間模様が描かれていて、ほんと素晴らしかった!
映画(国宝)にも匹敵するくらいの読み応えがある、小説でした。
読んだ後の余韻がすごすぎて、思わず、文庫本も手元に置いときたくて、購入したくらいです。
自分くらいの年齢になると、人生も半分以上過ぎて、いろいろ経験も積んできましたが、
それでも読んだ後は、自分もその小説の中の人生を旅したような、、不思議な感覚があり…。
感慨深くて、べつに正解はない、自分自身だけの、いろんな人生があってもいいんだなぁと思わせてくれました。
こんな小説に出逢って、少しまた、人生が深くなったような、得をした気持ちにさせてもらいました。
有難いなぁ、と思いました。
ちなみに著者の凪良ゆうさん自身も幼少期から、児童養護施設で暮らしたりした経験をお持ちで、
そういう苦労した人が書いた作品だからこそ、味がある物語なんだろうな、と納得できました。
興味がある方は、ぜひ読んでみてください。
オーディブルだと、比較的さくさく読めます。(ちなみにオーディブルの回し者ではありません笑)
極めてはやい、胃カメラ検査の体験談
(ほんとに検査したの~?!と思うくらい、たぶんあなたもそう思う)
まず、私の両親の話です。
両親は今は、この世界にはいませんが、この世にいた時は「がん」で闘病していました。
もう少し、はやく見つけてあげれば、もう少し親孝行できたのになぁ…と後悔はず~っとあります。
自分は、両親ともがん病歴があるので、遺伝で、同じがんになる確率は普通の人より高い、らしいです。
夫の勧めもあり、毎年腹部エコー検査を、2年に1回程度は胃カメラを受けています。
長生きできなかった、親の分まで、自分が親より少し長く生きて、親ができなかったであろう、孫の成長する姿をたくさん目に焼き付けられたらいいな、、と思っています。
(と、言っても、まだ結婚すらしていないのですが…笑)
~胃カメラ検査前~
そういうわけで、自分は先日、当院で胃カメラをしてもらいました。
看護スタッフはみな、検査直前まで気さくで優しくて、(手前味噌ですが)皆なんていい人達なんだろう~✨と安心感で一杯なりました。
次第に、麻酔薬が注射され、だんだんお酒に酔ったようなふわぁ~とした感じになり、そのあとは記憶がありません。ちなみに、お酒に強い人は、少し麻酔が効きにくいそうです。
後日、スタッフに伺った話によると、自分は麻酔が効きやすいらしく、すぐに意識がなくなり、
ごく少量の麻酔で検査終了まで、ぐすっり眠っていたようです。
そして2年前の胃カメラの時は、「喉が痛いです~!」と訴えていたそうですが、今回はおとなしかった、とのことでした。(本人はまったく、記憶にないですが…)
~胃カメラ検査後~
検査後はストレチャーにて休憩スペースに移動され、小一時間くらい休みます。
しかし、自分はどういう訳か、検査後にむくっと起きて、スタッフに「休憩室に運んでください…」と頼んだらしいです…。
まるで、泥酔しただらしない人間を介護するように、看護師二人でわきに抱えて、運んだとのことでした。
もちろん、まったく覚えていませんが。(か、かたじけない…)
起きた時は、薄いジュータンを敷いた床で寝ており、そのあと机の角で頭を打ち、痛い頭をさすりながら、え、なんで、ここで寝ているのォ~??と不思議に思ったくらいです。
この件は、後で皆でお笑いしました😊
お目覚めの後には、当院では、お飲み物とお菓子のサービスを行っています。
自分も実は、誰かが淹れてくれるコーヒーを楽しみにしていたのですが、
院長室に寝ていた自分にそこまで気遣ってくれる人はなく、、、
目が覚めた後は、とぼとぼと、自分でコーヒーを入れに行った次第です(悲)
まぁ、美味しかったですが(#^.^#)
以上、私の当院での胃カメラ体験記でした。
血縁の御家族に胃の病気や大腸の病気の経験がある方は40歳を過ぎたら、内視鏡検査をぜひ、ご検討ください。
胃癌や大腸がんは、早期発見、早期治療で治ります!
気軽な気持ちで相談にいらしてくださいね♪笑顔でお待ちしています😊
✊頑張った経験は、かならず自分の財産になる✊!
娘が看護学生です。2月中旬に学生最後の集大成(国家試験)が控えており、いまそれに向けて最後の追い込みで毎日を勉強一色で過ごしています。
娘はもともと声優になりたくて、演劇が学べる短期大学に通う学生でした。
しかし、声優を志し、さきに上京した友人や先輩の困難さを聴くにつけ、まずは蓄えが必要だな…と考え直し、
まずは働くことにしたのです。
そして、、なんと自衛隊に入隊したのです。
自衛隊は集団生活は辛いだろうけど、衣食住がお金がかからないのが魅力的だということでした。
(自衛隊は、国民を守る役目の立派なお仕事ですが、この時の娘の入隊理由はこれでしたm(__)m)
自衛隊は、入隊後の三か月はかなりつらい訓練があるそうです。
娘も入隊後に自衛隊の久留米にある学校に入校し、8人部屋で寝泊まりし(これだけでもすごい!)かなり厳しい集団行動訓練に脱落する人もいるなか、なんとか踏ん張りました。
その後、無事に自衛隊学校を卒業し、北海道の島松駐屯地に赴任しました。
この頃には、高校時代の夢であった、声優の道のことはもうすっかり消えてたみたいです。
自衛隊の現実的な実践業務に身を投じたことで、いろいろ思いが変わってきたようでした。
赴任後は後方支援部隊(第一線の部隊を支える役目)の隊員として2年間任務をしました。
そんな娘がなぜ、看護師を目指すようになったのか??
自衛隊勤務の時に、新型コロナの大流行があり、コロナ患者を献身的に支える病院で働く看護師たちの姿をテレビで観て心を打たれ、看護師になって人の役に立ちたい!と思ったとのことでした。
母親の私自身も、実は看護師の資格は持っています。
娘が高校生のときは、看護師さんになったら?と勧めたことはありましたが、娘からは「自分は絶対、看護師にはならない。お母さんみてると、いつも寝てるし、きつそうやもん」と反論されましたが。(笑)
しかし、娘はその後、自衛隊を退職したのち福岡に戻り、准看護学校に入学し、働きながら学校に通い卒業。
そしてさらに上の学校へ進学し、正看護師免許をめざして、毎日1時間以上かけて通学し、持ち前の根性で頑張っています。
娘はやっとこの春、第2回目の社会人のスタートです。
この4年間は貧乏で、いろんなものを我慢しながらの学生生活だったと思いますが、
そんな体験も、きっと無駄じゃない。
人よりは寄り道しながらの遠回りですが、その分、いろんな人と出会えて様々な経験を積めて、人間的成長につながったと思います。
また、娘一人の力ではここまで歩むのは厳しかったと思います。
自衛隊勤務のときに看護師になることを応援してくださった、島松駐屯地の隊員の皆様、看護学校の先生方や同士の皆さん、支えてくれた大勢の周りの方々にも感謝です。
資格をとってからが、また看護師修行が始まるわけですが、まずは国家試験に向けて、太宰府天満宮でいただいた緑のハチマキをしめて、日々頑張る娘を傍で見守っています。がんばれ!
内視鏡検査 ハードル高めですが、「迷ったらきて!」
私事ですが、ここ数年で運動不足の為か、だいぶん太ってしまいました。(悲)
夫の勧めもあり、1年前にカーブス(女性のための運動施設)に入会しました。
最初は意気揚々と通っていましたが、元来のさぼり癖のせいか、最近は週に1回行くか行かないか、、
たまに行ったら、カーブスの壁に大きく「迷ったら来る!」と書かれていてドキッします。
そうだよなぁ~と妙に納得してしまいます。
話は変わりますが、内視鏡の話です。
患者さんの中でも、運がいいなあと思う人は、医者の勧めた通りに、迷わず素直に検査を受けた人です。
思わぬ、がんの芽となりうるポリープが見つかったりして、大事になる前に切除した人などをみると、
運がいい人ですね!と、言いたくなります。
あと、内視鏡の医者選びも重要です。
どこの施設で検査するかも非常に重要です!!
福岡市でも、大体の内視鏡クリニックは良識的な内視鏡専門医でしょうが、中には「良心的ではない、内視鏡専門医」が存在します。 悲しいですが、本当にいます😢
どんなことが(良心的ではない)のかというと…
それは、実際とらなくてもいいような良性ポリープや組織をとって、自分たちの利益を重視する、お医者のことです。
いや、もしかしたら、良性ポリープだろうが何だろうが、すべてとる!…とういうとんでもない、考えなのかもかもしれません。( ゚Д゚)💦
そんなお医者様たちは一体、自分たちの医者としての良識やプライドはないのかなぁ…。
ちょっと、残念な気がします。
そして、内視鏡専門医と一口にいっても「腕はピンからキリまで」
手前味噌ですが、当院の院長は身内から見ても、内視鏡の腕は一流の職人級です!
若い頃は相当へたくそで、師匠にコテンパンにしごかれたらしいですが(涙)
そのせいあってか、死ぬほど研鑽を積み、今はだれよりも上手になりました✨
そして私達は、この地で確かで安心な医療を地域のみなさんにコツコツ提供することが、自分たちの社会貢献だと思っています。
じゃあ、そのほかにも、信頼できる内視鏡クリニックはどこにあるのー?? というあなた様へ
自分たちが信頼している、お医者さんを紹介します。↓↓↓
中央区なら、アクロス福岡にある「麻生クリニック」
院長の麻生暁先生は、経験も知識も豊富で、内視鏡の手技も「一流の職人」です。しかもハートも熱い!
患者様の話を真剣に聴いて、時には厳しいアドバイスをしてくれる頼れる人です。
あと、春日市の(中村内科クリニック)、太宰府市の(ひぐち内科胃腸クリニック)
どちらの先生も信頼できる良い先生です。
当院長が勤務医として働いていた頃の同志で、昼も夜も患者さんの為に尽力した、真面目で働き者の先生方です。
症状がなくても、40歳を過ぎたら胃カメラや大腸カメラを受けましょう。
(迷ったらきて!)くださいね♪
自然の法則 第二弾!
2・6・2の法則って聞いたことありますか?? これも自然の法則の話です。
ミツバチの例でお伝えします。
ミツバチの集団をよく観察すると、
よく働くハチ20%、普通のハチ60%、怠けるハチ20%で形成されます。
じゃあ、良く働くハチだけ集めたら、みんな働き者で生産性が上がるのではないか?と、考えますよね。
ところが、実際よく働くミツバチだけ集めたらどうなるかというと…
そのうちまた、20%・60%・20%の割合の比率に戻るそうです!(なぬ!?)
逆に働きが悪かったミツバチだけ集めても、同じ結果になるそうです。
そして話が逸れますが、ミツバチが天敵のスズメバチに襲われた時、巣を自分の体を張って守るのが
この普段怠けている20%のハチ達らしいです。
天敵のスズメバチは45度の熱で死ぬそうで、この普段は怠け者のハチ達はこの時は自分たちが主となり、
全力で羽を震わせて巣の温度を48度まで上昇させ、天敵のスズメバチを駆除します。
(自分たちも50度で死にますから、自分たちの危険もある中で身を挺して、役割を全うしているのです!)
このことは、同じく自然の法則で、もちろん人間にも当てはまります。
2・6・2の働きかたにも『役割』があるのです。
なので、怠ける役割の人を仮に排除したとしても、また新たに組織の中に別の怠ける役割の人ができていきます。
じゃあ、どうしたらいいのー?と思うでしょう。
なので、個人個人を変えようと思うのではなく、組織全体で「意識の底上げ」をしていくのが重要とのことです。
2・6・2のまま全体を底上げしていく
先生からは、組織風土、教育、文化の構築が重要だと、教わりました。
①胸を張って、失敗を発表できる文化
②その発表を承認できる文化
③その失敗を繰り返さないために、自分に何ができるか?と考える「自分が源泉」の文化
を、組織の中に少しずつ創り上げていくことが大切だそうです。
自分たちも、学んだことを実践していけるように、
少しづつ、できることから、取り組んでいきたいと思います!
なお、この文章はアビリティートレーニング木下晴弘先生のお話を参考にさせていただきました。
ありがとうございました。
君は何のために働くのか?
充実した人生を感じるために知っておきたい事実をお伝えします!
何のために働くのか…???
若い頃は、さして気にも留めず、縁があった仕事に従事し黙々と働き、また家庭を持ち守るために、時々は取り乱しながら、くたびれながらも働いてきました。(家事、育児も含む、もちろん。)
人生の2/3が終わる年頃になりましたが、人生を振り返る時期に差しかかり、この「何のために働くのか」という問いについて学ぶ機会があり、心に刺さったのでお伝えします。
アビリティートレーニングの木下晴弘先生のお話です。
(人は何のために働くのか?)この問いに答えをだすのが「自然の法則」です。
自然の法則とは、春にならなければ桜は咲かない。柿の木に決して桃はならない。
このように自然には人間の力が及ばない法則が働いている。
自然には何一つ無駄なものがない。
そして間違いなく人間も自然の一部である。
そうすると、今存在する人間も誰一人として、無駄な人間はいない。
無駄なものは自然は決して許可しないのだから…
今、生きている私達は間違いなく、自然に、存在を許可されているのです!!!
(ここで、木下先生は熱く身振り手振りで表現する🔥)
無駄な人間がいないということは、一人ひとりに生まれてきた役割があるということ。
その役割とは、働くことによってのみ果たせる。
(話が逸れますが、障害などがあって働けない方々もおられます。私はその人達は、周囲の人に気づきや、愛や、思いやりをもたらす存在として、特別な役割を担っている、と考えています。)
(役割)とは、周りの役に立つから「役割」と呼ばれ、それはその人の得意分野、つまり長所の中に存在する。
(苦手なことでは、人の役には立たない😢)
その人が自分の生まれてきた役割に気づき、それが働く(勉強する)目的となったとき、
人生は充実した方向へ進みだす。
そして、この世で幸せな人生を送った人といえる人は、
「自らが幸せになろうとした人」ではなく、
「周りを幸せにした人」であることを忘れないこと。
この話を聴いて私が感じたこと。
今までの人生を振り返り、自分は全然不完全な人間ですが、自然には生きることを許可されている。
それならば、今からでも自分の役割を改めて考え、残りの人生を使って、少しでも周りの人を幸せにできるように役割を全うしていきたいな、、としみじみ思いました
気になる方は、木下先生の『人生の見え方が大きく変わる「対の法則」 』(青春出版社)も読んでみてください。
さあ、自分の役割を探すことから、始めましょうか!!(笑)

小泉八雲とその妻セツをモデルにした物語、始まる!
上半期の朝ドラ「あんぱん」も感動のうちに、終わりましたね😢
あんなに「アンパンマン」が深い話とは!
今度は小泉八雲とその妻セツがモデルの「ばけばけ」です。
ドラマが始まる前の予習として、「小泉八雲を変えた熊本」というNKHの番組を観ました。
これをみると、小泉八雲という人にすごく興味が出て、より一層ドラマが楽しみになりました。
一緒にみんなで楽しめるように、八雲のことを少しお伝えします☺
ラフカディオ・ハーン(1850~1904)
明治時代に来日したアイルランド人です。
小泉セツと結婚し、日本に帰化、小泉八雲と名乗ります。
松江→熊本→神戸→東京と移住し、中でも文学修行の中で最も意義ある3年間を熊本で過ごしたそうです。
アイルランド人の父とギリシャ人の母から生まれるが、幼少期は決して幸せではなかったらしい。
両親が離婚し、母親はハーンを残したままギリシャに帰国、以降、母とは二度と会うことはなかったそうです。
軍医だった父は再婚し、ハーンを残してインドへ赴任し、父とも生き別れてしまう。
父方の親戚に引き取られ、カトリック系神学校に行くも、厳格な教えになじめずに孤立感を深めたそうです。
されに16歳のころに遊んでいて左目を強打し、失明してしまいました。
19歳で移民船に乗り込み、単身アメリカへ。日雇い労働で数年間、どん底の生活も経験したとのことでした。
やがて24歳の時に、新聞記者の職を得て、文筆の世界に足を踏み入れました。
当時生活していた、ニューオーリンズの古い信仰や言い伝えなどに興味を持っていたそうです。
この時に、まだ見ぬ東洋の国、日本の存在を知った。ある雑誌社の依頼で日本を訪れることとなりました。
一方、セツは没落士族の家に生をうけるが、生まれて間もなく同じ士族の家に養女にだされたそうです。
しかし生活は苦しく、機織りの仕事をしながら一家を支えました。
そんな時に英語教師として赴任してきた、ハーンの家に住み込みの家政婦として雇われたのがセツでした。
その生活から、次第に二人は心を通わせていきます。
二人とも、一度は結婚に失敗している者同士で、響きあうものがあったかもしれません。
セツが果たした、ハーンにとっての重要な役割は(語り部)としての役割だったそうです。
日本語の読み書きの苦手なハーンは、怪談や古い民話を夜な夜なセツに語ってもらい、自分の中で再構築し、物語に昇華させるという方法で数々の作品を世に生み出しました。
八雲の怪談はいわば、セツとの二人三脚で生まれていきました。
小泉八雲は1904年、狭心症のためセツに見守られながら54歳でこの世を去ったそうです。
最後に家族で穏やかに夕食をとり、妻と語り合いながら、眠るように人生を終えたとのことです。
八雲の好きなもの:西、夕焼け、夏、海、遊泳、芭蕉、杉、寂しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱
八雲の嫌いなもの:嘘つき、弱い者いじめ、フロックコートやワイシャツ、ニューヨーク
まず、書斎で浴衣を着て、セミの声などを聴いていることは、楽しみの一つだったそうです。
どうですか?
八雲とセツの人生に興味がわいたでしょう(笑)
下半期も毎日の仕事のささやかな楽しみになりました( ´∀` )
最近、立て続けに、いろいろとトラブルに見舞われました。
労務関係のトラブル、内視鏡機器の故障や検査機器の故障、患者さんのことなど…。
特に労務関係のトラブルは、こちらが思ってもみなかったような展開になり、ボタンの掛け違いというか、考え方の違いというか、一方的に相手側より責められたりと…ずいぶん自分たちからしたら、かなしい出来事になりました。
夫はさすがに、疲れ果てた様子で、部屋にこもって、しばらくは落ち込んでいたようです。
自分も、しばらくは悶々とした気持ちがあり、やけ食いしたり、やけ酒をのんで、またやけ食いしたりと、
どん底の気持ちで、一人やさぐれていましたが、時がたつにつれ、また平常心になってきました。
しかし、渦中のときは、いろいろ考える余裕もありませんでしたが、時がたち、俯瞰してみると、起こった出来事は
起こるべくしてなった、必然的なことだったのだなぁ…と思うようになりました。
そして、さらに言えば、私達の哀しみなんて、相対的に見ればずいぶんと小さい話なんだ、と思います。
早い話が、私やあなたの哀しみなど、世界的レベルで考えたら相当にちっぽけなものなのです。
たとえば今、世界中で繰り広げられている紛争や戦争で、理不尽で命を奪われる人達のことを考えると、胸がざわつき、虚しくて、哀しい気持ちになります。
自分も含めて、人間って、なんて愚かで、かなしい生き物なんだろう…と。
平日のNHKの午前中に放送している、ワールドニュースを観たり、
学徒出陣出陣で戦死した人達の手記「きけわだつみのこえ」などの本を読んだりするのもいいかもしれません。
「さらにつらい体験」をしている人達に思いをはせることで、自分たちの悲劇なんて、ぜんぜんたいしたことではない、と思えるようになりました。
どんなふうに、がんばったところで、自分にはどうにもできないことが、世の中にはたくさんあります。
そんな時に、必要以上に傷つくことなく、(あ、こういうことって起きるんだな)と受け止めればいいらしいです。
また、(何が起きたか)ではなく、(起きたことをどう捉えるか)が大事です。
この考え方が今後の人生を決める、らしいです。
そうはいっても、また人生の荒波が襲ってきたら、いったん飲み込まれるんですが🌊
そのたびに、また荒波から這い上がって、うまく波乗りをしていけるよう、、心の精進をしていきたいと思います!
認知症最前線! あなたのまだ、知らない世界
50才を過ぎたあたりより、知り合いの名前がすぐに出てこなかったり、やろうとしていたことをわすれたり…と、以前と比べて軽い物忘れが気になるようになってきました😫
こういうのを認知症の前々段階のSCD(主観的認知機能低下:物忘れに自分だけが気づいている状態)というそうです。
たぶん、自分も認めたくないが、そうだろうなあ…と思いました😨
認知症というのは20年前より脳内にアミロイドβが徐々に溜まって、ある程度閾値を超えるとアルツハイマー病が発症する…😱とのことで、60~70歳で発症することを考えると、40歳半ば~50歳ごろに対策に一番気を付けなければいけないみたいです。
じゃあ、どんな対策があるかというと❔
対策① 睡眠:6~8時間の睡眠をとる。(6時間以下、8時間以上だと、かえって認知症リスク↑ )
対策② 予備脳を鍛える!!
☆ながら運動をする。(何かをしながら2つのことをやる。前頭葉を刺激する効果あり。)
☆麻雀などの対戦ゲームをする。
☆懐メロをうたう(前頭前野を刺激する効果あり。)
対策③ ビフィズス菌入りのヨーグルトを食べる🐄(ビフィズス菌の一種が脳にいい影響を与えるらしいです)
そして、なんと!
✨対策④ 帯状疱疹ワクチンを打つ✨
最近の研究で偶然判明したことらしいですが、帯状疱疹ワクチンが、≪認知症予防効果≫があるらしいのです💉
おすすめは組み換えワクチン(シングリックス)らしいですが、まあまあのいい値段(2本で約4万円)なので、今回自分は安価な生ワクチン(水痘ワクチン)を打つことにしました。費用は施設で違いますが、うちは7700円です。
ちなみに組み換えワクチンは2回接種ですが、生ワクチンは1回接種です。
やらないよりは、やった方がいいだろう…と思い、自分も先日接種してもらいました。
もちろん、50歳を過ぎた方は、本来の目的の帯状疱疹予防もかねて、ぜひご検討ください。
夫は今年50歳になるので、組み換えワクチン(シングリックス)を接種するそうです。
福岡市は令和7年4月より、任意接種でも費用の一部が助成され、自己負担が半額くらいで打てます!
任意接種の対象となるのは福岡在住者で、50歳、55歳、60歳の方です。
定期接種は65歳以上の方で、5歳おきに対象です。
自分のことは後回しでいつも周りの人のことを第一に考えている方こそ、打ってほしい🙋♀️
ぜひ未来の自分の為にご検討ください❣