この世はうらめしい、けど、すばらしい

小泉八雲とその妻セツをモデルにした物語、始まる!

 

上半期の朝ドラ「あんぱん」も感動のうちに、終わりましたね😢

あんなに「アンパンマン」が深い話とは!

今度は小泉八雲とその妻セツがモデルの「ばけばけ」です。

 

ドラマが始まる前の予習として、「小泉八雲を変えた熊本」というNKHの番組を観ました。

これをみると、小泉八雲という人にすごく興味が出て、より一層ドラマが楽しみになりました。

一緒にみんなで楽しめるように、八雲のことを少しお伝えします☺

 

ラフカディオ・ハーン(1850~1904)

明治時代に来日したアイルランド人です。

小泉セツと結婚し、日本に帰化、小泉八雲と名乗ります。

松江→熊本→神戸→東京と移住し、中でも文学修行の中で最も意義ある3年間を熊本で過ごしたそうです。

 

アイルランド人の父とギリシャ人の母から生まれるが、幼少期は決して幸せではなかったらしい。

両親が離婚し、母親はハーンを残したままギリシャに帰国、以降、母とは二度と会うことはなかったそうです。

軍医だった父は再婚し、ハーンを残してインドへ赴任し、父とも生き別れてしまう。

 

父方の親戚に引き取られ、カトリック系神学校に行くも、厳格な教えになじめずに孤立感を深めたそうです。

されに16歳のころに遊んでいて左目を強打し、失明してしまいました。

 

19歳で移民船に乗り込み、単身アメリカへ。日雇い労働で数年間、どん底の生活も経験したとのことでした。

やがて24歳の時に、新聞記者の職を得て、文筆の世界に足を踏み入れました。

当時生活していた、ニューオーリンズの古い信仰や言い伝えなどに興味を持っていたそうです。

この時に、まだ見ぬ東洋の国、日本の存在を知った。ある雑誌社の依頼で日本を訪れることとなりました。

 

一方、セツは没落士族の家に生をうけるが、生まれて間もなく同じ士族の家に養女にだされたそうです。

しかし生活は苦しく、機織りの仕事をしながら一家を支えました。

そんな時に英語教師として赴任してきた、ハーンの家に住み込みの家政婦として雇われたのがセツでした。

その生活から、次第に二人は心を通わせていきます。

二人とも、一度は結婚に失敗している者同士で、響きあうものがあったかもしれません。

 

セツが果たした、ハーンにとっての重要な役割は(語り部)としての役割だったそうです。

日本語の読み書きの苦手なハーンは、怪談や古い民話を夜な夜なセツに語ってもらい、自分の中で再構築し、物語に昇華させるという方法で数々の作品を世に生み出しました。

八雲の怪談はいわば、セツとの二人三脚で生まれていきました。

 

小泉八雲は1904年、狭心症のためセツに見守られながら54歳でこの世を去ったそうです。

最後に家族で穏やかに夕食をとり、妻と語り合いながら、眠るように人生を終えたとのことです。

 

八雲の好きなもの:西、夕焼け、夏、海、遊泳、芭蕉、杉、寂しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱

八雲の嫌いなもの:嘘つき、弱い者いじめ、フロックコートやワイシャツ、ニューヨーク

まず、書斎で浴衣を着て、セミの声などを聴いていることは、楽しみの一つだったそうです。

 

どうですか?

八雲とセツの人生に興味がわいたでしょう(笑)

下半期も毎日の仕事のささやかな楽しみになりました( ´∀` )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年09月27日